“モスタルにいくんだったらMajdas(マエダス)っていう宿が絶対オススメ!!”って何人もの日本人パッカーに聞いてたのでモスタルではもちろんマエダスに宿泊。一体なにがそんなにオススメなの?って聞いたら、とりあえず居心地がいい、スタッフがやさしい、キレイ、キッチン利用可、無料WiFi飛んでる、と。そりゃみんなオススメするよねー、って言うくらい実際いい宿だった。
ここの宿泊者はオージーが多いのだけど、そのみんなが口をそろえて“ツアーにはもちろん参加するんでしょ?”、って聞いてくる。どうやら外国人(英語圏の人たち)の間では、ここの宿主宰のモスタルとその周辺をめぐるツアーがクチコミで大人気で、ツアー参加するがためにマエダスに泊まりに来てるらしい、ってことが判明。料金は20ユーロ、朝10時出発で帰りは夜10時って言う、まさに12時間ぶっ続けなツアーに、そんなみんながいいって大絶賛してるし、行ってみるか、と参加しました。
さて、ここでちょっとボスニア・ヘルツェゴビナ、モスタルの歴史です。
さて、ここでちょっとボスニア・ヘルツェゴビナ、モスタルの歴史です。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、多民族国家だった旧ユーゴスラビアの中でも、とりわけ複雑な民族構成をしていた国だった。1992年4月に内戦が勃発した当時、イスラム教徒勢力が人口の約45%、セルビア人が約30%、クロアチア人が約20%を占めていた。
内戦の前は、信仰する宗教は違うけれども、同じセルボ・クロアチア語を語すこともあって、みんなお互いの慣習を認めながら暮していた。
↑ここからモスタルでの内戦が始まった。セルビア人によるボスニア・ヘルツェゴビア軍事倉庫爆撃。
だけどいったん内戦がはじまると、各民族問の憎悪が沸き上がり、独立を目指すクロアチア人+イスラム教徒勢力vs.独立反対のセルビア人による戦闘が激化して、最終的には3勢力による“民族浄化”繰り広げられたの。
特にここ、モスタルはすごい激戦が繰り広げられていた場所。
もともとモスタルはネレトバ川を境に、東岸が旧市街(イスラム系居住区、80%がイスラム人=ボスニア人)、西岸が新市街(クロアチア系居住区、90%がクロアチア人)に分かれ生活していた。
マエダスを経営している一家は、イスラム人。川を挟んだ西側、すなわちクロアチア系移住区に内戦前から住んでいる。
ツアーコンダクターのBataはまさにこの内戦を経験・体験した当事者。そんな彼が自らの経験を話しながら引率してくれるツアー、いいに決まってるよね。
彼からはイスラム人、ボスニアンの目から見た、体験した内戦を隠す所なく教えてもらえた。
彼いわく、生存者は、誰が誰を殺したか、誰がどの家族を皆殺ししたか、誰が子供を殺したのか、誰を強姦したか知っている、っていってた。具体的には、自分の家族を殺したのは戦争前までは仲のよかった隣人、またはクラスメートだった、とか…。紛争が終結した今、笑顔で生活しているけど、みんな辛い過去と事実を知って生活している、表向きには紛争は終結したけど、事実上はまだ続いているんだ、って繰り返し言ってた。
↑途中立ち寄った村でお話を聞いた生存者のおばさん。お花が植えてある花瓶みたいなの、それが唯一残ったものだったんだって。
”あの戦争は、政治が市民を憎しみあうように仕向けた”
まさにそう。実際モスタルに住んで、戦争を経験した当時者じゃなきゃ解らない事実を知れたこのツアー。
ツアーはもちろん難しい戦争のはなしだけじゃなく、近くのきれいな湖と滝に泳ぎにいったり、修道院にいったり、カトリックの聖地へいったり、そしてBataのステキでhappy go luckeyな説明、彼の改造されたディスコ・バンでの楽しいものだった! ↑ディスコカー
↑イスラム修道院
難しい話もジョークも全部英語だから、英語わかんない人には???かもだけど、今まで私が参加したツアーでも一番を行く、すばらしいツアーでした。
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