ボスニアの正式国名が、ボスニア・ヘルツェゴビアだ、ってのも知らなければ、歴史、バックグラウンド、今現在の国の情勢もほんの一ヶ月くらい前まで恥ずかしながら全く把握していなかった。
ボスニア・ヘルツェゴビアって聞いて、ぱっと思い浮かべるのはやっぱ戦争。記憶にも新しい、旧ユーゴスラビアから独立を果たした後の1992年から1995年まで行われたセルビア軍によるサラエボ都市包囲。TVのニュースで毎晩のように流れていた、内戦の映像。当時アメリカに行ったばかりの高校生だった私の英語力じゃ全く理解できなかった歴史的背景。
サラエボ包囲。旧ユーゴからの独立を宣言し、新しく組織されたばかりのボスニア・ヘルツェゴビナ政府の軍に対してボスニアに住むセルビア人武装勢力がそれに反発してサラエボの街を包囲し、攻撃した。彼らはボスニア・ヘルツェゴビナ、という国家ではなく、独自のセルビア人中心の国家を作ろうとしてた。
この包囲戦の過程でサラエボで12000人以上が殺害、50000人以上が負傷したらしい。
実際今回サラエボに来て目にした、街中のビル、建物の外壁に痛々しく残っている、銃撃の跡。
信じられないけどほんのたった14年前まで、ここはまさに戦地だった。ここへ来て、自分の余りにも世界情勢・歴史の知識の無さにすごく後悔するとともに、もっといっぱい勉強したい、知りたい、って思った。
街を歩いている20歳以上の人は、まさに戦争をサバイブし、経験した人たち。たった14年前のことだから、記憶もまだ鮮明に残っているだろうし、それこそ思い出したくも無いだろうから、気安く戦争のこととか、聞けないし話も出来なかった。まぁその前に私の知識がほぼ全く無いから、話にもならなかったわけだけど。。。
第一時世界大戦の引き金ともなった、オーストリアの王子Franz Ferdinand暗殺現場のラテン橋も、14年前の内戦で破壊され、2004年に建て直された。
内戦中に無くなった人の遺体を、セルビア軍に街全体を囲まれてしまっていた為、郊外の墓地へ運ぶことすら出来ず、市内の元オリンピック会場であった敷地内に埋葬していた。
トンネル。ここはサラエボがセルビア軍に完全に包囲されていた時期に唯一の通行路として物資の補給、要人の出入りに使用された約800メートルのトンネル。
ホリデー・イン。ここは内戦中ジャーナリストが集まる場所でした。もちろん安全なんかじゃなくて、何回も空爆受けてます。
サラエボも、近代的ビルが建つまでになっていて、街行く人々もどことなく、希望に満ちているように見えた。まだまだ抱える問題はたくさんあるだろうけども、もうあんなつらい出来事だけは避けたいよね。それは世界全体に言えること。
平和に生きる権利は誰にでもある。本当に争いなく、みんなが幸せに暮らせる日は来るのかな?
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