2009年6月30日火曜日

kiki's delivery service


クロアチアのドブロブニク。ポルトガルで行ったポルトもそうだって言われてるらしいけど、ここドブロブニクが魔女の宅急便の舞台だ、っていう説が一番あるところ。

ブダペストの宿で魔女の宅急便のDVDみてばっちり予習したし、準備万端で向かったよ!

アドリア海に面する、城壁に囲まれた旧市街、オレンジの屋根瓦と白い壁、石畳。魔女子さん(キキのことね、トンボがこう呼んでたよね)、いそうな感じ?ジジに会えそう?






で、実際に行ってみた私の感想だけど。。。

確かに魔女の宅急便っぽい。でも、やっぱなんかちょっと違うんだよなーぁ。まぁ、あの映画もひとつの街をモデルにしたんじゃなく、他いろんなロケーションを組み合わせて作った、とは聞いてたんだけど。勝手にドブロブニクがまさにあの街だ、って私の中で想像しすぎて期待しちゃってたからちょっとがっかりしちゃったのかも??
でもドブロブニク、かわいらしくってこじんまりしてていいところだったよ。観光客わんさかいたけど。
ちなみにここドブロブニクも90年代の内戦でセルビア軍のターゲットになった場所。今はほとんど修復が終わってるけど、ダメージは相当なものだった。
こんなステキな街を攻撃してめちゃくちゃにしてしまう戦争、ホント、心が痛みます。

2009年6月29日月曜日

今までで最高のツアーでした。



“モスタルにいくんだったらMajdas(マエダス)っていう宿が絶対オススメ!!”って何人もの日本人パッカーに聞いてたのでモスタルではもちろんマエダスに宿泊。一体なにがそんなにオススメなの?って聞いたら、とりあえず居心地がいい、スタッフがやさしい、キレイ、キッチン利用可、無料WiFi飛んでる、と。そりゃみんなオススメするよねー、って言うくらい実際いい宿だった。

ここの宿泊者はオージーが多いのだけど、そのみんなが口をそろえて“ツアーにはもちろん参加するんでしょ?”、って聞いてくる。どうやら外国人(英語圏の人たち)の間では、ここの宿主宰のモスタルとその周辺をめぐるツアーがクチコミで大人気で、ツアー参加するがためにマエダスに泊まりに来てるらしい、ってことが判明。料金は20ユーロ、朝10時出発で帰りは夜10時って言う、まさに12時間ぶっ続けなツアーに、そんなみんながいいって大絶賛してるし、行ってみるか、と参加しました。

さて、ここでちょっとボスニア・ヘルツェゴビナ、モスタルの歴史です。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、多民族国家だった旧ユーゴスラビアの中でも、とりわけ複雑な民族構成をしていた国だった。1992年4月に内戦が勃発した当時、イスラム教徒勢力が人口の約45%、セルビア人が約30%、クロアチア人が約20%を占めていた。


内戦の前は、信仰する宗教は違うけれども、同じセルボ・クロアチア語を語すこともあって、みんなお互いの慣習を認めながら暮していた。

    ↑ここからモスタルでの内戦が始まった。セルビア人によるボスニア・ヘルツェゴビア軍事倉庫爆撃。

だけどいったん内戦がはじまると、各民族問の憎悪が沸き上がり、独立を目指すクロアチア人+イスラム教徒勢力vs.独立反対のセルビア人による戦闘が激化して、最終的には3勢力による“民族浄化”繰り広げられたの。
         ↑もともと銀行だったビル。ここからスナイパーが市民を狙って撃っていた。

特にここ、モスタルはすごい激戦が繰り広げられていた場所。
もともとモスタルはネレトバ川を境に、東岸が旧市街(イスラム系居住区、80%がイスラム人=ボスニア人)、西岸が新市街(クロアチア系居住区、90%がクロアチア人)に分かれ生活していた。


                    ↑左がイスラム側、右がクロアチア側

内戦がはじまり、最初はセルビア軍vs.クロアチア・イスラム人が戦っていたのだけど、最終的にモスタルではセルビア軍と提供を始めたクロアチア人vs.イスラム人が、ネレトバ川を挟んで行われ、優勢だったクロアチア人に、たくさんのイスラム人が虐殺された。

マエダスを経営している一家は、イスラム人。川を挟んだ西側、すなわちクロアチア系移住区に内戦前から住んでいる。


ツアーコンダクターのBataはまさにこの内戦を経験・体験した当事者。そんな彼が自らの経験を話しながら引率してくれるツアー、いいに決まってるよね。
彼からはイスラム人、ボスニアンの目から見た、体験した内戦を隠す所なく教えてもらえた。

彼いわく、生存者は、誰が誰を殺したか、誰がどの家族を皆殺ししたか、誰が子供を殺したのか、誰を強姦したか知っている、っていってた。具体的には、自分の家族を殺したのは戦争前までは仲のよかった隣人、またはクラスメートだった、とか…。紛争が終結した今、笑顔で生活しているけど、みんな辛い過去と事実を知って生活している、表向きには紛争は終結したけど、事実上はまだ続いているんだ、って繰り返し言ってた。
ツアーで内戦の詳しい事実を知った今、クロアチア人とムスリム人の間には「友好的な雰囲気なんて実際ないんだな」って実感した。たとえば西側(クロアチア系)にはボスニアのビールは絶対売っていないし、壁には“イスラムは出て行け”という意味のグラフィティーがその辺に書かれている。西側に唯一ビジネスを持っているマエダス一家だって、実際嫌がらせを受けている。

↑途中立ち寄った村でお話を聞いた生存者のおばさん。お花が植えてある花瓶みたいなの、それが唯一残ったものだったんだって。

”あの戦争は、政治が市民を憎しみあうように仕向けた”



まさにそう。実際モスタルに住んで、戦争を経験した当時者じゃなきゃ解らない事実を知れたこのツアー。

ツアーはもちろん難しい戦争のはなしだけじゃなく、近くのきれいな湖と滝に泳ぎにいったり、修道院にいったり、カトリックの聖地へいったり、そしてBataのステキでhappy go luckeyな説明、彼の改造されたディスコ・バンでの楽しいものだった!


                      ↑ディスコカー



                     ↑イスラム修道院


                 ↑カトリック聖地メジュゴリエ。
     ↑このイエスの像の太ももから聖なる水が流れてるんですってよ??(絶対ポンプ隠れてるよなー)


難しい話もジョークも全部英語だから、英語わかんない人には???かもだけど、今まで私が参加したツアーでも一番を行く、すばらしいツアーでした。

2009年6月28日日曜日

よく学び、考えさせられたサラエボという街




ボスニアの正式国名が、ボスニア・ヘルツェゴビアだ、ってのも知らなければ、歴史、バックグラウンド、今現在の国の情勢もほんの一ヶ月くらい前まで恥ずかしながら全く把握していなかった。

ボスニア・ヘルツェゴビアって聞いて、ぱっと思い浮かべるのはやっぱ戦争。記憶にも新しい、旧ユーゴスラビアから独立を果たした後の1992年から1995年まで行われたセルビア軍によるサラエボ都市包囲。TVのニュースで毎晩のように流れていた、内戦の映像。当時アメリカに行ったばかりの高校生だった私の英語力じゃ全く理解できなかった歴史的背景。


サラエボ包囲。旧ユーゴからの独立を宣言し、新しく組織されたばかりのボスニア・ヘルツェゴビナ政府の軍に対してボスニアに住むセルビア人武装勢力がそれに反発してサラエボの街を包囲し、攻撃した。彼らはボスニア・ヘルツェゴビナ、という国家ではなく、独自のセルビア人中心の国家を作ろうとしてた。

この包囲戦の過程でサラエボで12000人以上が殺害、50000人以上が負傷したらしい。

実際今回サラエボに来て目にした、街中のビル、建物の外壁に痛々しく残っている、銃撃の跡。






信じられないけどほんのたった14年前まで、ここはまさに戦地だった。ここへ来て、自分の余りにも世界情勢・歴史の知識の無さにすごく後悔するとともに、もっといっぱい勉強したい、知りたい、って思った。

街を歩いている20歳以上の人は、まさに戦争をサバイブし、経験した人たち。たった14年前のことだから、記憶もまだ鮮明に残っているだろうし、それこそ思い出したくも無いだろうから、気安く戦争のこととか、聞けないし話も出来なかった。まぁその前に私の知識がほぼ全く無いから、話にもならなかったわけだけど。。。



第一時世界大戦の引き金ともなった、オーストリアの王子Franz Ferdinand暗殺現場のラテン橋も、14年前の内戦で破壊され、2004年に建て直された。



内戦中に無くなった人の遺体を、セルビア軍に街全体を囲まれてしまっていた為、郊外の墓地へ運ぶことすら出来ず、市内の元オリンピック会場であった敷地内に埋葬していた。


トンネル。ここはサラエボがセルビア軍に完全に包囲されていた時期に唯一の通行路として物資の補給、要人の出入りに使用された約800メートルのトンネル。


ホリデー・イン。ここは内戦中ジャーナリストが集まる場所でした。もちろん安全なんかじゃなくて、何回も空爆受けてます。


サラエボも、近代的ビルが建つまでになっていて、街行く人々もどことなく、希望に満ちているように見えた。まだまだ抱える問題はたくさんあるだろうけども、もうあんなつらい出来事だけは避けたいよね。それは世界全体に言えること。


平和に生きる権利は誰にでもある。本当に争いなく、みんなが幸せに暮らせる日は来るのかな?